鹿間羊市プロフィール

君がこの男について、いかなる前科を想像することも自由だ

経歴

1986年、東京都に生まれる。ただし、凋落せるニュータウン・多摩で育ったので、都民ではない。
多摩の一部地域ではセブンイレブンを「イレブン」と呼称し、「ウェンディーズ」を「インディーズ」と同じアクセントで呼ぶなど、独自の文化を形成しているのであるから、私が都民を自称しようものならいつボロが出るかわかったものではないのである。

早稲田と名のつく機関に計14年在籍する。恐ろしい学費である。34歳の今、フリーライターとして新卒程度の収入を得ている。恐ろしい費用対効果である。

20歳前後でニーチェに目覚め、大学を受験し直してまで哲学を学ぶが、今では何も覚えていない。

なぜ私はライターをしているのか

ライターというのは因果な商売である。ライターとは「書く人」というわけであるが、識字率99%を超えるこの国においては、ほとんど誰でも「書く人」たりうるわけである。

そういう状況のなか、ことさらに「自分は書く人である」と言明することは何やら厚かましい感じがする。たとえば「自分は呼吸する者――Breather(ブリーザー)である」などと声高に宣言する者はいないだろう。

それなら、「ライター」を名乗ることには何の意味があるだろう。言うまでもなく、「俺の文章に金を払ってくれる者はいないか」という呼びかけである。厚かましく感じるわけだ。

一体、どのような思想形成過程を経れば、「自分の文章に金を出してくれる人がいる」などという考えに至るのだろう。金になるということは、価値があるということだ。価値とは、「他との違い」によって生まれる。どういうわけか、「自分の文章は他とは違う」と思ってしまっているわけである。

自分が書いた文章を、100%客観視することは不可能だ。「自分が書いた」という意識がどこかに介在してしまう。そうであるなら、「ライター」を名乗る我々は、いかにして「他との違い」を自認するに至ったのか。

ひとえに、自己認識の甘さである。「自分には特別な何かがあるはずだ」という希望的観測をもとに、我々は「ライター」を名乗っているのである。なんと哀れな職業だろうか。自身の特別性を無邪気に自明視する危険性について、誰にも教わることがなかったのだ。

なぜ私は生きているのか

見出しにしてみたかった。何かを書きたかったわけではない。これを見出しにするだけで、生存を肯定せしめんという根本的な衝動を何やら感じるようではないか。

つまるところ、「なぜ生きるか」は具体的回答を求める問いなどではなく、つねに自身の生存を肯定するためのポジショントークに過ぎないのである。

仕事など

Webメディア

その他、企業のオウンドメディアなどでSEO記事執筆。

Web小説

  • 「像に溺れる」
    自我に悩む高校生のお話。Educational Loungeにて毎週土曜日12:00更新。

ネットラジオ

個人的な創作など

  • note
    創作物や時事ネタを公開。

電子書籍販売

Kindleにて自作の小説を販売しています。

  • 負債の代償
    短編。妻の出産を目前に控え、現実逃避に走る男の情けない姿を描くコメディです。
  • ぼくは世界からきらわれてしまいたい
    中長編。ミソジニーをこじらせた売れないモデルの話です。
    言語表現と概念遊びに全力を注いでいます。

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