一日の終わりは熱々のお風呂に浸り、すっきりとした気持ちで眠りにつきたいですよね。
せわしない毎日に小さな幸せをもたらしてくれるバスタイムですが、せっかくのリフレッシュ気分を台無しにしてしまうのが「臭いタオル」の存在です。
雑菌にまみれ、この世の不浄を詰め込んだような悪臭を発するタオルに身を包まれた瞬間は、神に見放されたような思いがしてしまうもの。
そこでこの記事では、臭いタオルがもたらすメリットについて考えてみることで、明日に向けてポジティブな気持ちを保つためのヒントをお伝えしていきます。
メリットその1:なにかしら耐性がつきそう
定期的に臭いタオルとの接点を持っておくことで、仕事やプライベートの場面で何らかの菌に触れなくてはならなくなった際、落ち着いて対処することができるでしょう。
上司などから雑菌をめぐるハラスメントを受けた場合にも、雑菌のダメージを受けることなく、反対に「心配? オレなら平気だよ 訓練してるから」と、キルアばりのマウント(引用:冨樫義博『HUNTER×HUNTER 1.出発の日』p.130、集英社、1998年)を取ることも可能です。
メリットその2:不可抗力性の臭いなので責任を感じる必要がない
翌日に職場の同僚などから臭気について指摘されたとしても、あくまで臭いの原因はタオルであって自分ではないため、ダメージは少なく済むでしょう。「気になる臭いを抑えるのは社会人としてのエチケット」という派閥が社内に存在しそうな雰囲気をそこはかとなく感じたとしても、そもそもの原因は古い洗濯機であったり日当たりの悪い部屋だったり、だいたい給料のせいなので気にする必要はありません。
ここで気がかりなのは、「健康で文化的な最低限度の生活」という法規定に「臭い」という観点が存在しうるかどうか、ということです。風呂上がりに臭くないタオルで体を拭くことが、日本国民にとって生得的な権利として認められるのか、極めて興味深いテーマですが、健康で文化的な最低限度の生活について調べてみても、同名の漫画作品に関連したページばかりがヒットするためよくわかりませんでした。
生活保護受給者の抱える困難の実相は、紋切り型の対応では内的な理解に至ることができません。この作品は単純に役所と生活保護受給者との間に生じるリアルな問題を社会に知らしめるばかりではなく、それぞれ文脈をもった人格同士が相互理解に至るためには何が必要か、ということを問うているのだといえるでしょう。
臭いタオルと共存していくために
信頼関係を築くのには長い時間がかかりますが、それが崩れるのは一瞬です。同じように、一度の過ちによって臭くなってしまったタオルは、なかなか元に戻すことは難しいもの。いわばタオルの臭さは、私たちとタオルとの破綻した関係性を象徴しているのかもしれません。
他人との関係が拗れてしまうと、相互理解に至ることを諦め、その人とのコミュニケーションの機会を切り捨ててしまう方も多いですが、果たしてそれでいいのでしょうか。コミュニケーションは他者を完全に理解することが不可能であるからこそ必要となるのであって、摩擦やすれ違いは新たな関係性を築いていくための契機となるはずです。「そんな人だとは思わなかった」というところからこそ、本当の相互理解は始まっていくのではないでしょうか。
すなわち、「タオルの臭さ」はタオルとのコミュニケーションにおける、本当の出発点なのです。臭くなかったはずのタオルが臭くなってしまった、あるいは臭くあってほしくなかったタオルが実は臭かった、そういう事実を受け止めることではじめて、私たちはタオルの本当の姿を理解する営みを始めていけるのではないでしょうか。